Posts in Category: 雑感

2018/05/15 Nouveau Petit Royal Dictionnaire

何十年かぶりに辞書を買った。旺文社の仏和辞典、プチロワイヤル。ちなみに大昔、学生の時の第2外国語はフランス語。使っていた辞書は当時もプチロワイヤル。調べてみると当時は初版(1986/01/11初版発行)のものを使っていたようだ。ちなみに今日届いたのは第4版(2010/03/25発行、2015重版)。デザインが当時とあまりに変わっていて、というか、今時の辞書の表紙ってこんな素敵なデザインなんだ!と驚く。CDなんかも付いてるし。周りには辞書は読み物という人もいて、そうなの?と思っていたけれど、パラパラめくってみると確かに面白い。弁護士を表すavocatが野菜のアボカドという意味もあったり、テニスの語源はtenirの命令形のtenez(受けてみろ)だったりといったことが書いてあったりする。それに出版社が違うと動詞の変化の説明の仕方の巧拙や例文のセレクトの時代性が違っていて比較してみると楽しいのだとか。なるほど。そういう楽しみ方をしている人が世の中にいるんだということがまず面白い。ネット全盛の時代だけれど、紙の辞書を手で引いて何かを調べるのって懐かしくもどこか新鮮で楽しい。Google先生の翻訳もいいけど(何回でも発音してくれるのは大変助かるしうれしい)、用例と語法上の注意の見やすさと一覧性に優れていることが紙の辞書の圧倒的な利点だと思う。仏仏辞典が買えるくらいにはなりたいものよ。がんばろう。

最近買った本の中で、注文して届くまで一番楽しみだった本が辞書。形容詞がNouveauなので辞書という単語は男性名詞だとわかる(nouvelleだと女性名詞)。学生の時分は名詞に性別があることに驚いたし、動詞の変化の多彩さに閉口したっけ。

2018/04/30 帰ってきました。

香港から帰ってきました。旅先の楽しい時間はあっという間に過ぎて、荷ほどきしたらすぐにいつもの日々がやってきます。帰ってきたらマンションの大規模修繕の足場がなくなって窓が明るくなっていました。もう明日から5月か。

九龍側と香港島を結ぶスターフェリー。大好き。どんだけ景色がハイテクになろうとも最終的に乗り心地を快適にするのは人の手ですね。わざわざ乗りに行く。

2018/04/27 行ってきます。

連休前のドタバタをなんとか乗り越えて、夕方の飛行機で香港へ。例によってノープラン&出たとこ勝負のショートステイ。美味しいもの食べてその辺ぶらぶらするだけで事前の予定は特になし。ヒマで言葉の通じないガイジンになって自分の時間を楽しんできます。

たかが3~4日の旅行とわかっていても、外国に行く前って必ずお蕎麦かうどんが食べたくなる。お昼は出汁を効かせて薄口醤油でやさしい色と味に、具は白菜だけで玉子を落とした温かいつゆの稲庭うどん。葱もゴマも七味も入れなくていいや。つるりと食べて成田に向かいます。首都高空いてるといいな。

2018/04/14 Le Beurre Bordier

最近お気に入りのパン屋さんで買っているボルディエの発酵バター。いくつか種類があって、こちらは有塩。しっかり塩が効いていて、風味が素晴らしい。お店の方は無塩バターに岩塩をお好みの量を乗せて食べてみるのが個人的におすすめとのこと。海藻入りのものは独特な風味がクセになるくらい美味しいらしいので次回はそれにしてみようか。いや無塩に岩塩パラパラも非常に気になる。次はどうするか心が乱れるけど、どちらも試してみるつもり。関係ないけど、海藻類を消化できるのは世界で日本人だけって本当なんだろうか。

初めて見たとき石鹸かと思った。バターです。美味すぎて朝はバタートーストとコーヒーだけで満足。バターがこんなに美味しいって知らなかった。

2018/04/01 FUJIFILM X-Pro2/XF35mmF2 R WR

先日、久々にプライベートカメラを新調しました。富士フィルムのX-Pro2XF35mmF2 R WR。レンズはXF35mmF1.4Rと迷ったのですが、コンパクトさと機動性を重視。F2の方が口径が小さい分、人にカメラを向けた時の威圧感と存在感も比較的少ないだろうと。それに最新の設計のレンズを味わってみたかったのでした。買ってからちょっと忙しかったので、まだ箱を開けただけで、だいたいのセッティングを済ませたばかり。あまり撮ってないのですが、オートフォーカスも非常に早いしF2で十分かな。それにしても最近のカメラは多機能なので、取説の分厚いこと。頑張ってもう一回読んでみよう。レンズを交換できるタイプのカメラだし、次のレンズは何を買おうかな。それにしても新しいカメラのワクワク感は特別です。

まだ新しいうちに写真を撮っておく。

2018/03/28 アメナリーフ

昨夜左の眉毛のあたりにヘルペスみたいな発疹ができていて、今日朝起きたら左のまぶたが腫れ上がっている。これはおかしいと思って仕事終わりに病院へ。医師の診断は帯状疱疹とのこと。どうりで顔の左側にしか発疹ができないわけだ。ヘルペス持ち(?)なのであの痛くて熱い感じには慣れているけれど、患部は目の周りの皮膚が薄いところなので非常に不快。年が明けてからちょっとバタついていたのと、花粉症のせいで鼻の通りが悪くて睡眠がいつもより浅くて体の抵抗力が落ちていたのだろう。子供の頃にやった水疱瘡のウィルスがまだ体内の神経節にいて、このタイミングで発症してしまったようだ。水疱瘡ウィルス?まだいたの?というのが正直な感想。まだいらっしゃるのですね。よりによって患部は顔面だし。薬を処方してもらったのだけど、この薬の名前がアメナリーフ。今までで病院で処方してもらった薬の中で最高額の単価。一週間分、14錠で6550円。1錠あたり467.8円。高っ。この際だし、ついでに耳鼻科にも行って花粉症用にいつもより強めの薬も処方してもらって帰途に。春は一番体調を崩しやすい季節なのであまり好きじゃない。

初帯状疱疹&過去最高額の薬の記念に写真を撮っておく。今はだいぶ落ち着いてきました。

2018/02/21 Sourdough

先日仕事でバイキングベーカリーFさんにうかがった時に買ってみたパンがことのほか美味しかった。ここのお店は食パンが有名みたいだけど、重たいパンが好きなのでSourdoughという酸味のきいたパンを選ぶ。自宅に戻ってチキンのホワイトシチューと合わせてみたのだけど、これが抜群の美味しさ。このもちもち加減と酸味はクセになる。また近くに行った時は必ず寄ろう。

ずっしり重い。お店の方によると1センチ厚に切ってちょっといいバターと合わせると最高とのこと。言う通りにしてみました。最高でした。

2018/01/10 帰ってきました。

先ほどミラノから帰国しました。部屋が冷え切ってて寒いです。成田からの道中、首都高の渋滞で東京に帰ってきたことを実感しました。明日からは普通の日々が始まるのでまずは荷ほどきをしっかり。おそば食べたい。

エール・フランス。ミラノのリナーテ空港からパリのシャルル・ド・ゴール空港で乗り換え成田便に。

2017/12/27 行ってきます。

ドタバタと準備をして午前中の飛行機でひとまずパリへ。20年以上ぶりです。昔泊まっていたカルチェラタンの安宿のあたりとか、どうなっているだろうか。いろいろ楽しみです。今年もいつもながらいろいろあった年でした。お世話になった皆さまに本当に感謝です。良いお年をお迎えください。来年も素敵な一年でありますように。

さようなら2017年の東京。師走某日都内某所にて。なんてことない風景だけど、晴れてて寒くて空気が澄んでて遠くにスカイツリーが見えてて気分が良かった。

2017/12/13 葉書

先日、見慣れない差出人から葉書が届いた。薄墨で書かれているので訃報の知らせだろうと思ってはいたのだが、読んで衝撃を受けた。自分とほぼ同い年の友人の訃報を知らせる彼の細君からのものだったからだ。住んでいる場所が離れているので最近は年賀状のやり取りだけの付き合いになっていたとはいえ、突然の知らせに動揺した。しかも亡くなったのは今年の2月だという。
初めて彼に会ったのは1994年の初夏、中国の新疆ウイグル自治区のカシュガルという町。其尼巴合賓館(Chini Bagh Hotel)のドミトリー。自分はネパールからチベットに入ってヒッチハイクでカシュガルに抜けてきたところで、彼は東から西へシルクロードの遺跡をたどってカシュガルにたどり着いたところだった。ドミトリーのベッドが近かったので自然に話すようになる。いつもインディ・ジョーンズが被っているような帽子を被っていて関西訛り、きれいな中国語を操るのが印象的な男だった。大学を卒業して、中国国内の遺跡を訪ねて回る長い旅をしているとのことだった。大学では考古学を専攻して、考古学者への道を模索している時期だったのだろう。考古学者としての仕事の口はなかなかないのだ、とこぼしていたのを覚えている。自分もぼんやりと写真の道に進みたいとは思っていたものの、何から始めればいいのやらさっぱりわからず、自分の将来に対する漠然とした不安を抱えながら途方に暮れていた時期だった。彼のしてくれる遺跡や考古学に関する話は全く自分の知らない世界の話で非常に興味深かったし、将来に対する期待や不安みたいなものも似たような温度感で共有できていたのだろうと思う。昼間はそれぞれ好きな時間を過ごして、夜になるとドミトリーにいる何人かの日本人旅行者と連れ立って安い中華料理や羊の串焼きを食べに出かけて、新疆ビールを飲みながら旅の話だけにとどまらずいろんな話をした。そんな日々が楽しくて3日くらいで出ようと思っていたカシュガルの街のあまりの居心地の良さに3週間くらいのんびりしていたように記憶している。それから自分はカラコルム・ハイウェイを通ってパキスタンに入り西へ向かい、彼はそのまま中国国内の遺跡を訪ねる旅を続けることになる。しばらくしてお互い帰国。
帰国してから彼は郷里の鳥取県に戻り、自分は東京でなんとか今の仕事を始めた。彼が東京に来る時には会って食事をしたり、年賀状で近況を短く伝えあったりしている付き合いが続く中、ついに彼は念願の考古学と遺跡発掘の研究員としての職を得る。それからもずっと年賀状や文面でのやり取りが続いていた。今年も年賀状の用意をしようとしていた矢先の突然の訃報。
今思えばラインどころかメールすら使わなかったのが不思議だ。カシュガルで会ったあの時、自分たちは「何者か」になりたかった。彼は多分「何者か」になれたのだろうと思う。お互い「何者か」なりたくてもがいていた時期のあの濃い時間を共有した後では今風のSNS的なつながりは必要がなかった。年賀状のはしっこの細かい字で書いた3行くらいの近況を知らせる文章が時間も場所もやっていることの領域も越えてつながらせてくれた。葉書でなくても、そのへんのメモ用紙に書いたメモみたいな短文でもよかったのかもしれない。
もう彼からのポストカードや年賀状が来ることはなく、彼の書いた文字も読むことはできないのだと思うとたまらなく悲しく、寂しい。濱くん、さようなら。安らかな旅立ちをお祈り申し上げます。おれはぜんぜん「何者か」にはなれてないわ。まだまだです。

当時使っていたガイドブックを開いてみる。この地図見ながらみんなで一緒にサンデーマーケット行ったよね。夏前でまだ市場に名物のハミクワが出てなくて食べれなかったっけ。ホテルの近くの清真食堂で食ったラグメンうまかったよな。なつかしい。